宿場町だった中軽井沢

しなの鉄道しなの鉄道線の「中軽井沢駅」は、かつて「沓掛駅(くつがけえき)」という駅名でした。

沓掛駅は、旧国鉄の信越本線の駅として1910(明治43)年に開業しました。

古来、わらじを履き換える場所のことを沓掛といい、難所などを越える手前にあった場所のことも指しました。

沓掛の名称は、駅名どころか地名さえも現在では残っていませんが、むかしは交通の難所だった碓氷峠を控え、中山道六十九次の宿場町として栄えていて、江戸時代には軽井沢宿、追分宿と並び浅間三宿と呼ばれていました。

明治時代になると宿場町としての機能が失われ、沓掛は衰退していきます。

1888(明治21)年に英国人宣教師アレクサンダー・クロフト・ショーがこの地の風情に魅せられて別荘を建てると、彼に紹介された政財界の大物や文化人たちもやってきて沓掛は別荘地や観光地へと変貌、欧米の雰囲気が漂う地として人気となりました。

こうして軽井沢ブランドが出来上がったのです。

そして1956(昭和31)年に沓掛駅は中軽井沢駅と改名され、4年後には沓掛の地名も中軽井沢と改められて、沓掛の名前は過去のものとなってしまいました。

いまでも宿場風の建物は見られますが、かつて隆盛を極めた宿場町としての面影はありません。